アメリカのマスタリング業界でもここ数年間は、レベル戦争やニューフォーマットの話題をず~~っとやっている。
「音楽のダイナミクスが失われないよう、CDに入れるレベルを下げよう」
「大きく聞きたければ、聞くボリュームを上げてくれよ」
と言いつつも、クライアントの要望を断れない状況が続いている。

「いい音でとってもハッピーだと言って帰った翌日に電話があって「とっても良かったんだけど、もう3dBレベルを上げられないか?」って言うんだ。0.5dBとかじゃなくて、3dBだよ!!」
「「ロックに!もっとレベルだ、レベルを上げてくれ!」とか。もう十分でかいのに」
溜息と苦笑いまじりに言う言葉は、全員同じ意味である。

それに加え音楽のダウンロード化で音の品質が落ち、曲のバラ売りが可能になってしまった為、1枚のアルバムとして曲間を含めた雰囲気も楽しんでほしいと思っているアーティスト側の意向は全く無視され、今や音楽は“お手軽つまみ食い”状態に陥った。
ダウンロードだとジャンルも何もそっちのけでいろんな曲が並んでしまう。
CDやアナログ盤みたいに盤を入れ替える“時間”が存在しない状態で聴き比べてしまうと、ぱっと聴き判りやすいレベルの差が1番の問題点になってしまい、レベル戦争にまた拍車がかかるという悪循環。

CDが売れなくなって録音現場の激変ぶりもすさまじいものがある。
「もうすべてが変わってしまった」
みんなが口々に言う。

ミキサーは大体がMYスタジオを持ち、プロユースのスタジオや機材を使って録音からトラックダウンまで作業するのではなく、生ものなどのベーシックトラックはスタジオで録音しても、その他は自分のところで作業する。これによって少なくなった製作費を維持するという仕組みが普通になってきた。
アメリカはそれができる住宅事情なので、余計にそうなっている気がする。(ヘタするとドラムを録れる大きいところもあるし)

「だからモニター環境に問題が多い」
「次の世代にどうやって技術を伝えていくかも問題だ。録音の段階でどうやったらちゃんといい音を録音できるかとか」
「ファイナライザーを使うんじゃなくて、その前にコントロールする技術を教えるという問題がある」
マスタリングエンジニアの苦悩は切実で、録音現場の事情もよ~くわかっているので、リスナーに届けるクオリティとの間で常に板挟みである(汗)。
職人技の継承も気がかりなことで、スタジオが無くなれば新たなエンジニアが学ぶ現場が乏しくなってくる。
音楽業界の事情もあって再販ものが多くなったこの頃、アナログ録音全盛期に録音された貴重な音源を聴く機会が増えているマスタリングエンジニアがそう思ってしまうのは、日本もアメリカも変わらないらしい。(笑)


たぶんあの場にいた有名なミキサーやマスタリングエンジニアは、ほぼ全員“三度の飯より音楽が好き”な、音楽LOVEにあふれた人達ばかりで、アナログ時代から今日までの技術変化や音楽業界の流れをいやになる程体験してきている。それ故に現状での音のクオリティーや業界に対して「もうしょうがない」と思う反面「なんとかなる道はないのか」と模索する姿が、見ているこちら側の心をザワザワとさせる。

どんな世の中でも、音楽はなくてはならぬもの。
ちょっとくらい迷っても、よりよい道を探していきたい。

ゆかの間

オレンジの中の人

(via taketori)

(via shinobixx) (via gkojax)

1曲74分にすればいいのに>曲間楽しむ

(via tnoma)

121 名前:無情男[] 投稿日:2008/12/02(火) 15:33:08 ID:W0s8u+Zq
東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。

そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、
東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしく
ボロボロになってた。

親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、
俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。

俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと
喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…

死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。

499 :名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:57 ID:4EIidAZWO
民主党政権ができて外国人参政権が認められたら、沖縄で戦争が起きると予想されてる

http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/794523

中国は実際この方法を使っている

526 :名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:22:02 ID:4EIidAZWO
地方参政権はヤバい
沖縄に中国人を大量に移民いれる
沖縄県民を先導して基地を排除
ここからが中国のお家芸民族対立を起こし、自国民保護名目に軍事侵攻
以後、人民解放軍が沖縄に駐留
核兵器持ち込み
沖縄侵略を終了
»499のように前例があるからな。ヤバいぞ

tnoma:

ipodstyle:

e5150:

zypressen:

ichihashi5 (via yumeyume777)

青山繁晴氏11月11日「外国人参政権について語る」

関西のみ放送

拡散願います

日本の将来への心配を問われ、陛下は「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです」と切り出して、第2次世界大戦に至る昭和前半の道のりを回顧。「昭和の六十有余年は様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切と思います」と締めくくった。

asahi.com(朝日新聞社):「心配なのは歴史が忘れられること」天皇陛下即位20年 - 社会

慧眼。いままさに左に振れているけど、その揺り返しの方が懸念される。

(via tnoma)

若い人には馴染みのない言葉だろうが、その昔、日本列島各所の奥地にはタコ部屋を擁した流浪者の身住まいのできる飯場(はんば)というものがあった。
読んで字のごとし飯を食う場である。
一般に山奥の建設現場でタコ部屋に住みながら労働に勤しむ場ということになるが、都会の場末にも飯場のようなところは随所にあった。

私も若いとき高田の馬場にある飯場に1ヶ月ほどやっかいになったことがあるが、薄給であるにも関わらず3畳くらいの個人部屋が与えられた。
日給六百八円と変に中途半端な数字だった。
なぜ八円が加わっているのかと尋ねたが飯場長は「昔からやっていることやからわからん」と言った。飯場は飯を食いあげた流浪者の溜まり場のようなところもあったから、末広がりの八を付けることでここを出た暁には良い人生を送って欲しいという願いのようなものをある時誰かが込めて八円を加えたのかもかも知れないと若い頭で考えたこともあった。
私の場合はすぐ必要な金が必要だったから腰かけ程度に働いたのだが、一般の労働賃金より安いにもかかわらず人が集まるのは、個室があてがわれたからということもある。

その個室には若干の理由がある。
世間から身を隠すことが出来たのである。
飯場でタコ部屋に入る者は身元を一切問われないという不文律がある。
そして働いている者同士も身元を詮索しない。
タコ部屋とはタコツボに一匹づつタコが入るのに準えられて付けられた名称だと思うが、そのように流浪人が身を寄せるには格好の場だった。
その流浪人とは当然犯罪者も含めての話だ。

時、2009年。
こんな明るい時代にあの飯場に似たものがまだ世間にあはるのだなぁと、テレビに映し出された市橋達也が寄宿していたという4畳半くらいの寮の個室を見て思った。
当然昔とは違って小ぎれいな部屋だが、その部屋を見て思ったことは、かつての飯場やタコ部屋にあった人の身元を問わない、他者に干渉しないという習俗のようなものが多少とも残っていたから彼のようなものが1年も暮らすことが出来たのではないかということである。

それにしてもオタク的気質と言われていた市橋達也が、日本各地を流浪しながらたくましくも嗅覚でそういう場を見つけ、日々労働の汗を流していたということは少なからぬ驚きである。

かりに彼が殺人容疑者ではなく、普通の青年であったとするなら、それは一人の青年の成長物語の軌跡として親や縁者の瞠目の対象になっただろうにと、市橋逮捕後の両親の憔悴した声を聴きながら不憫なものを感じざるを得ない。

Shinya talk (via yuco) (via ipodstyle) (via tnoma)